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Pさんが死んだ日

2014年12月4日、
Pさんが大学病院に入院した日のことです。
この日は午後から雨が降ってきました。

同日午後4時頃。
Pさんは約3ヶ月の闘病生活を終えて
11歳9ヶ月の犬生を全うしました。
いつも一生懸命生きて、
私達にその元気を分けてくれたPさんでした。

病院で別れた時、Pさんは元気ではありませんでしたが
立ち上がることはできていました。
最後に見たPさんは
移動用のバックの中で、薄目を開けて微睡んでいました。
「よろしくお願いします」と言って、2度ほど頭をなでてから
お医者さんにバッグを渡したのが最後のお別れになりました。
私はこれが最後になると頭では思っていなかったのですが
でもやっぱり、心では感じていました。
なぜなら、この時の光景がくっきりと
目に焼き付いているからです。

その日の夕方4時頃、容体が急変したとのことで
電話がかかってきました。

急に発作を起こして一度心臓が止まったけれど
その後、また動いた、と先生は言いました。
でも、ひょっとしたら私達が到着した時には
心臓が止まってしまっているかもしれないので、
急いで来てください、と。

そろそろ息子が学校から帰ってくる時間だったので
少し待って、家族揃って大急ぎで病院へ行きました。

が、到着した時には
すでにPさんは死んでいました。
5分ほど前、と先生は言いましたが
そのずっと前に死んだような状況だったのではないかと思いました。

まだ心臓はマッサージのお陰で動いてはいましたが
目の角膜が乾いてきているように見えたのです。
これは、もうすでにマバタキをしなくなって
随分時間が経っているということを意味します。
目を見開いて
家でいきなり倒れた時と同じ顔をしていました。

私は「もう、駄目だ」と悟り
心臓マッサージを続けている先生に
もういいです、と言うきっかけを探していました。
が、先生のほうが
「これ以上はもう無理です。楽にさせてあげていいでしょうか。」
と言ってPから手を離しました。
家族みんなで泣きました。

入院した時、病院で別れたのが確か11時45分くらい。
それから約4時間でPさんはこの世を去りました。
正直、この日、死んでしまうとは
みんな、思っていませんでした。

でも、Pさんは言葉は喋れなかったけれど
私達はいつだって心でつながっていたから、
私は心ではわかっていたのです。

だから夫は手術を反対したし
私は入院の直前に待合室で
いつもはめったに使わない
ガラパゴス携帯でPの最後の写真を一枚とったのです。

みんな、そう思いたくなかっただけだったのだと
今は思います。
私はPさんが死ぬ2日前
Pさんを思い切り抱いて
しっかりと撫でておきました。
もう、最後になるような気がして。

Pさんは「沢山のさよなら」を
すでに私達にしてくれていました。
だって、病気になってから
今までよりもずっと
ペロペロ私達をなめてくれていましたから。
でも死の直前にはもう、なめる力すらなくなっていました。

Pさんは心臓を患うまで
とにかく元気で
病院に連れて行くことも殆ど無く
健康な犬だと思っていました。
フードだけは気を使って
合うものを何種類も試したけれど
粗雑に扱ってもいつも元気で
寝床もダンボールだし
さすが元捨てられっ子だけあって
たくましい感じの子でした。

興奮症でうるさくて手がかかるので
もういりませんと
元の飼い主に言われて
タダでもらってきたのですが
タダでは申し訳ないと思って
近所の美味しいパン屋さんのパンと交換した犬でした。

飼い始めた頃は犬用のクッションなどを買ってやっていましたが
そんな気取ったものは
すぐに壊してしまうのです。
IMG_0481.jpg
このクッションもあっという間だったなあ。

そのうち、私が通販で買物をするときに出る
ダンボール箱を欲しがるようになりました。
これを渡すと、スポッと中に入り
なかなか出てきません。
PSANNHAKO

それ以来、Pさんはダンボールが寝床となり
空きダンボールをPのそばに置くと
これは自分のものだと中に入るようになりました。
子どもたちもダンボールの中に入るのが好きだったので
時々取り合いになっていました。

ダンボールだけじゃあ、寝心地が悪いだろうと
最初はホームセンターで売っている安い座布団を入れたり
ちょっとは見てくれを気にしていた私でしたが
Pさんはどんどん年を取り
おしっこやうんこの粗相が多くなったため
子供の古着を中に入れるようになりました。

この気軽に捨てられるダンボール+古着の寝床は
とても便利でしたし、何よりPさんのお気に入りで
いつも我が家ではダンボールの中で
Pさんが大いびきをかいて
そのいびきがダンボールに反響して
うるさかったな、と思い出します。

このダンボールの寝床は
私が子育てでPにかまってやれなかったために
Pが拗ねて、悪い子になっていた時期を脱するきっかけにもなりました。
何故かダンボールを与えるようになってから
Pさんは性格が落ち着いたのです。
歳のせいかもしれないけれど。

Pさんとの思い出は本当に沢山あります。
Pさんは、いつも私を見てくれていました。
ベランダで洗濯物を干していると飛んできて
私の足元にまとわりついたり
そばで横になったりして
終わるまで待っています。
私は干し終わると「あっち!」とPさんに声をかけ
そうするとPさんは私よりも先に早足で
私が移動するだろう場所にすっ飛んで行って
待っているのでした。

料理をしている時も
仕事をしている時も
いつも私のそばで寝ていました。
朝もベランダから私達を起こしに来てくれて
「グオー、ゴォーッ」と鼻を鳴らすのです。
私が「おはよう」と窓を開けると
嬉しそうに飛び跳ねてくるっと一回転し
部屋の入口に足をかけて顔を舐めてくれました。


Pさんは病気になっても、
自分で一生懸命動こうとしていました。
トイレも死ぬ3日前まで自分で必死に行こうとし
実際、すっ転びながら行っていました。
ついにトイレへ行く段差が超えられなくなったのが
死の前日でした。

死んだ当日でさえ自分で歩こうとし
どこへ行きたいか、どうしたいか
私に意思を伝えてきました。
本当は気が弱いくせに
いつだって威張りんぼうで、
自分は強いんだといきがっていました。
そして先頭を切って歩きたがりました。

わたしはPさんが肺水腫になって
呼吸ができず、苦しんで死んでいくのを見るのが
怖くてたまらなかった。
でも、最後はきっとそばに居てやろうと思っていました。

そんな私の恐怖がわかったのでしょうか。
Pは、病院で他人に看取られてあっさりと死んだのでした。
その時、Pさんは水を飲んだのだそうです。
水をたっぷり飲んで、その後吐き気をもよおし
発作を起こしたと先生は言いました。
前日も同じ症状で発作を起こしたことを知っていた先生は
水を飲ませてしまったことを「申し訳なかった」と謝っていましたが
もう、Pさんの心臓は弱り切っていたのだから
仕方がありません。
でも本当は最後に一緒にいてやりたかった…。

病院で死んだことで
Pさんは体を綺麗に拭いてもらい
醜くむくんで膨らんでしまった足でさえ
綺麗に細く治してもらえました。
まるで、元気な頃のPさんが
ぐっすりとねむっているかのように見えました。
体はやせ細っていたので
買ったばかりの温かいフリースの服を着せてやりました。
見ていると、呼吸をしているような錯覚を起こすくらい。
これは私達家族にとって
とても慰めになりました。
病気は治らなかったけれど
Pさんの様子はまるで
元気な頃と同じようになっていたのですから。

顔も正に「安らか」でした。
一歳で家に来た時の寝顔と同じでした。

ただ触ると冷たくて硬い。
毛もフサフサしていなくて。
犬って、死んでしまうと
毛も寝てしまうのです。
そして決して動くことはないのです。
Pさん、と呼んでもグウともブシュッとも言いません。


Pさんを入院させたすぐ後、
まだPさんが生きていた時間でしたが
入院をさせて病院から帰ってくる時
ちょっと不思議な体験をしました。

本当は武蔵境から、家の近くまでバスに乗って帰ろうと思っていたのに
何故か、そのバスの線は休止になっていて
仕方なく、隣駅の三鷹まで移動して
バスに乗ったのです。

このバスは私とPさんが初めて出会った公園の真横を通りました。
この公園は、Pさんを引き取った時から一度も訪れたことはなかったけれど
何故か私はPが死んだその日に
「Pが私の犬になった場所」を通ったのです。

ああ、懐かしい。
ここだ!Pさんが前の飼い主さんとさよならした場所だ!と思いました。
でもなぜ今日ここを通ったのかな、と
なんだか嫌な予感がしたのも事実でした。
偶然とは言え、私達はここで会って、
ここで別れるんだと言うような気持ちになったのです。

まだまだいろんな思いが渦巻いていて
気分はもちろん晴れないし
涙も出るし
Pがいない寂しさや不自然な感覚に
慣れることが出来ません。

でも、Pさんを撮った沢山の写真を見ながら
私達には沢山の楽しい思い出があることを再確認して
Pさんに会えて本当に良かったと思うのです。
Pきれい
(これは2歳くらいのときの写真。目がとっても綺麗でした。)

だけど、どうしても
いつもPさんがいた場所に目をやってしまい
いないのを確認すると
耐えられない虚しさと寂しさを感じます。
毎日そばを通る時「Pさん」と声をかける。
するとPさんがこっちを見て
ちょっとした返事をするのです。
フンッとかブシュッとか
鼻を鳴らすのです。
毎日何回もやっていたことですが
今は、その場所に
もうPさんはいない…。
なのに、どういうわけか、そこから音がするような気がします。
ガサッという音やフウッと言う鼻息や
その場所にはPがいるような気配があります。


Pさんは本当に
何もかも解っていて
私達に負担をかけたり迷惑をかけるのを嫌がって
手術前に死んだのではないかと
そんなふうに感じてしまうくらい
さっさと死んでしまいました。

Pがいなかったら
赤ちゃんが出来にくかった私は
母親になれなかったかもしれません。
でもPに会えて私は子供を2人も産めた。
Pと一緒に行ったお散歩は私の体調を良くしてくれて
Pとの時間は私をリラックスさせてくれたから。
もちろん、自分でも沢山努力をしたけれど。
Pさんが私にくれたものは本当にたくさんあるけれど
その中で一番感謝しているのは
私にとって、この世で最も大切な存在である子どもを
授かる手助けをしてくれたことだと思っています。

そして、Pは子どもたちと一緒の時間をしばらく楽しんで
老犬になり、心臓を患い
Pを適当にあしらってきた飼い主の私に
3ヶ月ほど手を焼かせ甘えてくれて
飼い主の「やることはやってあげた」という気持ちを満足させてから
「僕はもう、十分役に立ったでしょう?
これ以上の迷惑をかけるのは嫌だからそろそろ行くよ。」と
私達の元を去ったような気がします。

Pは本当に可愛かった。
いい犬でした。
私たち夫婦にとって、あの子は子供みたいなもので
第一子はPさんだと思っていました。
でももちろん、犬として扱い
犬として飼っていたのですが。

いつも私の行くところに
先回りして待っていたPさんは
私が死ぬまで
その入口で待ってくれているような気がします。

Pさん、ほんとうに本当にありがとう。
そして、さようなら。
大好きだったよ。

p最後

(Pさんが死んだ日、家で最後にとった写真です。)












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プロフィール

きもとももこ

Author:きもとももこ
自然の多い西東京で
絵本を作りながら暮らしています。

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